東北プロセスワーククラブでは、7月10日(日)に仙台でワークショップを開催しました。震災後ほぼ4ヶ月たった時点で、参加される一人一人の個人的体験と心の居場所を大切にしながら、今、集合的に体験している問題を共有し、この困難な時に最善のの道をみつけていく体験を提供します。

 

日時:2011年7月10日(日)

午前10時〜13時、14時〜17時、18時〜21時

会場:仙台(申し込みのあった方にお伝えします)

 

<テーマ>「祈り、東北なる力、再生と創造へ」


午前:恐怖を手放していく:自分を大切にし、今、どこにいるのかに気づく。

午後:つなみという自然の猛威:喪失の分かち合い、本当に必要なコトは何か。

夜:原発というパンドラの箱:力を取り戻し、国家に預けていた力を使うこと。

 

 

 

掲載することに同意頂いたアンケートを記載しています。

参加し協力して下さった方に感謝を込めて。

 

 

○4月、7月と震災をテーマにワークショップを企画してきましたが、これを踏まえ今
後やってみたいテーマはありますか?
もし、言葉にできましたら自由な形でご記入ください

A:人生観に関する事(生まれた目的や役割.使命、今後の使命など)

 

A:ワークショップのテーマはまだ思いつかないのですが何か絵を描いたり色をぬったりすることをしてみたいです。

<午前の部に参加された方へ>
1、3.11以前のあなたから、今のあなたへの道を歩いた時に気づいたことはな
んでしたか?
A:私は震災をテーマとしての参加ではなく、このテーマを私的に応用して
  活用できるのではと思い参加しましたので、3.11を自分にとっての問題事

  と捉えて解答いたします。
  以前の猪突猛進のごとく力強く思いのままの性格から、今の孤立的な落ち込み
  で、狭いスペースにこもりたいでした。
  2,3度下を向きつつ狭いスペースにこもったら感情が込上げ涙を絶えられず
  突然狭いスペースを飛び出した。が、涙(声はヤットの思い出耐えた)の感情

  は途切れなかった。ハッキリした理由は解らない



2、気づいたことのエッセンスにあるものはなんでしたか?それはからだのどこに
宿りましたか?

A: エッセンスにあるもの「種」
   からだのどこに「腹の奥底」


3、からだに宿ったそのエッセンスは、イメージの中でどのように花開きましたか?
A: これから開花することを期待しています。

4、3の体験を現実生活の中にどのように活かしていきますか?

A: 開花を期待しつつ、表向きの性格のみではなく、
   今まで気づかなかった性格も認めて自分のアイデンティテーとして

   大切にしていいければと考えています。

 

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<午前の部に参加された方へ>

1、3.11以前のあなたから、今のあなたへの道を歩いた時に気づいたことはなんでしたか?

歩きやすい道ではなかったけれど、とにかくここまで歩いてきたということ。

2、気づいたことのエッセンスにあるものはなんでしたか?それはからだのどこに宿りましたか?

自分を信じること。それは足に宿っていると思いました。

3、からだに宿ったそのエッセンスは、イメージの中でどのように花開きましたか?
(質問の答えと違うかもしれませんが)
自分を信じる気持ちは、ここまで歩いてくる力になっていたと気付くことができました。

4、3の体験を現実生活の中にどのように活かしていきますか?
例えば苦手なことが目の前にある時、今まで歩いてきた道のりを心に留めてみる。そうすればちょっと自信が出て、自分なりの関わり方が見えてくるかも…

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<午前の部に参加された方へ>

1、3.11以前のあなたから、今のあなたへの道を歩いた時に気づいたことはなんでしたか?

3.11に戻ると怒りがこみ上げる、身体が重くなる、今に向かうと軽くなる、歩いているときは、鳥肌が立つような感覚

2、気づいたことのエッセンスにあるものはなんでしたか?それはからだのどこに宿りましたか?

オールオッケー!、「ほっ」としたような安心感、宿った場所は丹田

3、からだに宿ったそのエッセンスは、イメージの中でどのように花開きましたか?
(質問の答えと違うかもしれませんが)
自分を信じる気持ちは、ここまで歩いてくる力になっていたと気付くことができました。

 

今まで眠っていた何かが目覚めた、報われたというような感覚、万歳!と伸びをするような開放感

 

4、3の体験を現実生活の中にどのように活かしていきますか?

 

腑に落ちたという感じ、これからは自分を信じて生きていける、自信を持っていいと思えた、しかし、この「自信」が曲者であるとも感じているので、繰り返しワークすることが大切、そして学び続けていれば自信が喪失することはないと思う

 

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<参加された方みなさんへ>

4月、7月と震災をテーマにワークショップを企画して来ましたが、これを踏まえ今後やってみたいテーマはありますか?

もし、言葉にできましたら自由な形でご記入ください

 

⇒ 「ふるさとってなんだろう。」

  「ここで暮らす ここで生きる」

 

<午前の部に参加された方へ>

1、3.11以前のあなたから、今のあなたへの道を歩いた時に気づいたことはなんでしたか?

⇒ ずっとぐらぐらしていた。「3.11」はその延長線上であり、通過点。

 

2、気づいたことのエッセンスにあるものはなんでしたか?それはからだのどこに宿りましたか?

⇒ 大地~天へ すー・・・ とのびている、 細いけれど確かな一本の軸をたどっている。

  体幹。

 

 

3、からだに宿ったそのエッセンスは、イメージの中でどのように花開きましたか?

⇒ 軸を中心に、弧を描き、ゆれながらぶれながら 糸を張り巡らせてゆく蜘蛛

 

 

4、3の体験を現実生活の中にどのように活かしていきますか?

⇒ 自分の中にある軸を信じる。そこから生まれる動きを大事にしながら、人や場をつないでいく。

 

 

<日曜午後の部に参加の方>

  1、津波のワークの中で、弔われていない方になってみたとき、どのような体験でしたか?

⇒ 抵抗できない、どうしようもない、ことから 誰かに届けたい「叫び」が生じた。

   自分の内から起こる「叫び」に気づいた後 それは形を変えて、砂になり、水に溶けて波になり、宙に舞って歌になり どこにでもいけるようになった。

 

 

2、津波のエネルギーに触れてどう思われましたか?

⇒ ひろがっていく「うず」。

  恐れは抱いていない、むしろ同一感がある。「こっちにおいで」「一緒に波になろうよ」という声が湧いていた。

 

3、津波の枠を越えていくエネルギーを体験してみましたが、これはあなたにとってどのような意味がありますか?

⇒ 「枠」だと思っていたものは、そのエネルギーに注目すると枠ではなくなる。

 

 

4、この枠を越えるエネルギーのエッセンスにあるものはなんでしたか?

それは、からだのどこに宿りましたか?

⇒  「無」や、「フラット」な中に声があるということ。

  手と耳

 

 

5、からだに宿った津波の枠を越えるエネルギーのエッセンスは、どのようにあなたのからだを通して花ひらきましたか?

⇒ 耳を澄ます、手をあてる ことからめぐり出す流れ

 

 

6、この体験を日常生活にどのように活かしていきますか?

⇒ このワークに突入したとたん、いつのまにかどこかにふっ飛んでいました。。。

  聴きたくない声があることは自覚があります。エッジなのでしょうか。。。

 

 

 

<夜の部に参加された方>

1、このワークであなたがきづいたことはなんでしたか?

⇒ ・自分には、どこに居ても「よそ者」=「当事者になれない、ならない」アイデンティティー?ロール?があるということ。

   ・身近な生活において影響の少ない、ある意味の「当事者ではない人間」だから、立てるロールや発せられる声があるということ。

   ・土地にある気の流れというか力が、エッジを超える助けになるということ。

   終日、仙台という地と、そこに集った人々に、自分の中にある気の流れや力に似たものを感じながら知らず知らずに背中を押されていたような気がします。

 

 

2、あなたが取った立ち位置(ロール)の主要な発言はなんでしたか?

⇒ 初めは「電気や都会の流行に興味はない田舎の住人」のつもりでロールに入りましたが、気づけばそこは「原発を受け入れた町の住人」ロールでした・・・。

  「だまされた・・・原発を知らずに賛成してしまってこうなった。そんな賛成をした自分に憤り。」

  「少数派の意見を聞こうとしないじゃないか。数やデータじゃない、ここに居る自分たちの声を聞いてくれ。」  

 

 

 

3、あなた個人がこのワークで本当に言いたいことはなんだったでしょうか?

⇒ ロールとしてのやりとりだけじゃ、あなたのいのちの声が聴こえないよ・・・。

  東北の人とか、国の立場とかそういうことじゃなく、ひとりのいのちある者としてここに居るよ。

 

4、この場で、聞く事ができなかった声があるとしたら何でしょう?

⇒ 無言で立ちすくむしかなかった、声なき者の声。

  テレビを見ているように、違う国家や違う世界の出来事を見ている者の声。

  地球の表面で起こっている出来事をみている大地の声。

 

5、国=親であるという視点や、国民=子であり、自立していくというプロセスをどう思われますか?

 

⇒ 正直、違和感がありますが、例としてはありだな、と思います。

  親と子は、逆転することはありえないし、切り離せない関係だと思っているので。

  子が自立したとするとき、親はどうなるのかと考えたとき、片方だけの自立はありえないのではないかと思いました。

  そうすると、国家の自立って、はてなんだろう・・・そうか、国民を信じた国になることか!・・・という考えに行きつきます。

  今回のワークのファシリテーターと参加者の関係にも似ているのかな・・・と感じました。

  ただ、親は子が授かることで自然に親になることに対して、国家は人の手が作り出したものであるとすると、

  国=原発、国民=(意識的にも無意識的にも)原発が必要な人たち、・・・と考えるほうがしっくりきます。

  どうも、循環している生命や自然の営みに、国や原発を巻き込んで考えられない自分が居るのだと思います。

  もしかしたら、自分自身が自立していない「子」であり、自分が国や原発のことを自分事として考えられない象徴なのかもしれませんね。